2011年6月17日

「郵便配達青年であった日のこと」の一部紹介


前回書いた「郵便配達青年であった日のこと」は、終戦の年であった昭和20年のこと。以下、内容を一部、紹介させていただきます。・・・東区の三階橋の手前で、空襲警報が出て、急いで渡ろうとしていると、学徒動員で働いていたらしい県一の女学生が、自転車台を両手でつかんで、「乗せてください!」と言った。自分は公用電報をもっている身であり、坂道を乗せては走れないので断ると、「離しません!」と力を込める。自分は自転車を降りて女学生の手をパン!と叩いて退けた。胸の名札に「加藤○○ 2年生」とあった。そのとき顔も見た。

 一目散に自転車をこぎ、堤防で這って見ていると爆撃が始まった。爆撃が終わってから、市電の電車通りを下がると、大東紡績の工場前で、よーけ女学生が死んでころがっていた。さっきの女学生が気がかりで捜してみると、「加藤」という名札をつけたまま、さっき見たその通りの顔をして死んでいた。

 「人殺ししちゃった」と思った。申し訳なくて泣いて、敬礼して帰った。

 昭和3年生まれの方の戦争体験です。 sati

 

 

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