2011年6月19日

「名古屋空襲下での子供時代」の一部紹介


  「名古屋空襲下での子ども時代」を話して下さったのは、昭和11年5月生まれの男性。怖さを知らない子供で、夜間空襲は、きれいなんてものじゃない、珍しくて面白くて、喜んで見ていたという。私の印象に残った箇所を引用して、紹介します。
・・・  ずしりと重い手袋
 まだ寒い季節だった。上飯田で焼け出されて逃げてきた人たちが、どちらに行けばいいのか決めかねて水分橋のところでかたまっていた。そこへ爆弾が直撃した。それを見に行ったとき、道端に手袋が落ちていた。まだ新しい毛糸の手編のもの。手に取ろうとしたら、ずしりと重たい。思わず中をのぞいてみた。爆弾は破裂する時、鉄を木っ端微塵にする。鋭利にとがった鉄片がヒューン、ヒューンと音を立てて飛ぶ。その鉄片で切り取られたのであろうか、人の手が入ったままの手袋だった。
家の近くの寺の本堂の前に、むしろが並べられ、空襲で亡くなった50体ほどの死体がゴロゴロ並んでいるのを見たこともある。・・・
実は、この箇所を読まれた女性が、「これを書いた人に会いたい」と言う。ちょうどこの頃上飯田に住んでいて、水分橋のところへ逃げたが、5分ほど早かったので助かったとのこと。お二人はその後出会って、お話がはずんだ模様です。幸       
     

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://owariasahi.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/167

コメントする